存在の定義と電子美術館
存在の定義 |
この記事の冒頭に「存在の定義」と名付けた作品を載せました。
大きさが1ピクセルしかないので、じっと目を凝らさないと見えないかもしれません。
「はたしてこれを美術作品と呼べるのだろうか」と、ふと思っただけです。
さして突飛な発想でもないので、既出かもしれません。そのときは謝ります。
それはさておき、電子データのみを取り扱う美術館ってないのかな、という話。
近年、あちこちの美術館が所蔵品をデータ化し、ネット上で公開しています。
しかしデータとなった絵画は、データ化される前から存在しています。
冒頭にあげた私の作品「存在の定義」は、データとしてしか存在しません。
お絵かきソフトやCGソフト、テキストエディタで作成した作品も然りです。
こういった電子データを、そのまま電子データとしてアップロードして展示する、いわば「電子ファイル美術館」みたいなものがあったら面白そうだなあ、と思いました。
この「電子ファイル美術館」には、拡張子で言えば「.jpg」「.png」などの画像ファイルに加え、「.py」などのプログラム、「.exe」などのソフトウェア、あるいは「.html」なんかも展示できます。PixivやDeviantArtを拡張したような感じですね。
(セキュリティー上、ソフトウェアなどの展示は危険かもしれませんが)
こうした美術館を考える上で当然出てくるのは、
プログラムとかの電子ファイルって美術作品なの?
という疑問でしょう。
私もさして明確な答えを持っているわけではないので逃げます。
しいていえば「ものによる」という回答になるでしょう。
そのあたりはこの記事をご覧になっている読者各位にお任せするという形で。
私は現在、文章力を磨こうと思っています。
この記事の目的というのも、私なんかのどうでもいい思想を伝えることではなく、それなりの文章をさらさらっと書けるようになることにあります。
つまりは自己満足ということです。
おしまい
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